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大阪地方裁判所 昭和56年(ワ)617号 判決

原告

岩崎忠行

右訴訟代理人弁護士

明尾寛

右訴訟復代理人弁護士

武田忠嗣

被告

山三衣料株式会社

右代表者代表取締役

山田昌功

被告

波田卓見

右両名訴訟代理人弁護士

阪口春男

望月一虎

野田雅

右訴訟復代理人弁護士

今川忠

被告

梅村賢司

右訴訟代理人弁護士

平栗勲

主文

一  被告らは各自、原告に対し、金一〇七〇万九九六二円及びこれに対する昭和五三年一一月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らはそれぞれ原告に対し、金四〇〇〇万円及びこれに対する昭和五三年一一月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五三年一一月二七日午後五時四五分ころ

(二) 場所 大阪市淀川区西宮原一丁目八番六号先路上交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 事故車① 普通貨物自動車(大阪四五ほ七〇九号)

右運転者 被告波田卓見(以下「被告波田」という。)

右所有者 被告山三衣料株式会社(以下「被告会社」という。)

(四) 事故車② 軽乗用自動車(大阪五〇う三八〇五号)

右運転者及び所有者 被告梅村賢司(以下「被告梅村」という。)

右同乗者 原告

(五) 態様 被告波田は、事故車①を運転して本件交差点を時速約四五キロメートルで南から北に向けて進行中、これを、同交差点に西から東に向けて進入してきた被告梅村の運転する事故車②に出合頭に衝突させ、これにより事故車②の助手席に同乗していた原告に後記傷害を負わせた(以下「本件事故」という。)。

2  原告の受傷と本件事故との因果関係

(一) 外傷とその治療経過

(1) 原告は、本件事故により頭部等を強打して相当強い衝撃を受け、頭部外傷、頸部捻挫、前額部挫創、右脛骨々折、下腿挫創、膝関節内血腫、前胸部挫傷の傷害を負つた。

(2) 原告は、右外傷の治療のため、昭和五三年一一月二七日から同五四年一月一五日まで五〇日間東淀川病院に入院し、同月一八日から同年三月一六日まで五八日間(実日数二〇日間)三好外科整形外科に通院し、同年三月一六日東淀川病院において右外傷に関し前額部に長さ三・三センチメートルの瘢痕(線状痕)を残して症状固定の診断を受けた。

(二) 失明と本件事故との因果関係

原告の左眼は本件事故発生後約八か月を経過した昭和五四年八月八日に失明し、右眼も翌五五年三月一九日に失明するに至つたが、この両眼の失明はいずれも、本件事故に起因するものである。すなわち、

(1) 原告は、昭和五二年一〇月頃から同年一二月二四日まで大阪大学医学部付属病院(以下「阪大病院」という)内科に入院して若年性糖尿病の治療を受け、その際同病院眼科で糖尿病性網膜症と診断されたが、その程度は、単性網膜症後期(スコットの分類によるとⅢa期)であり、治療効果の乏しい増殖型にまでは未だ進行しておらず、硝子体出血を引き起こす新生血管の発生も認められない状態であつた。

(2) 原告は、右網膜症の病変の進行を阻止するため阪大病院眼科において昭和五二年一〇月末から同五三年八月二日まで前後一五回にわたり経過観察を続けるとともに、左眼について昭和五二年一二月八日、同五三年六月一四日の二回、右眼について同年八月三日の一回それぞれレーザ光による光凝固術による治療を受けたが、その経過は良好であり、視力も右眼〇・九、左眼〇・六を維持しており、日常生活はもとより設計士としての仕事にも差支えることのない状態であつた。また、原告は、阪大病院内科退院後も、本件事故時まで週一回通院してインシュリン投薬を受け、血糖のコントロールを続けていたので、本件事故前の空腹時血糖値は一六〇ないし一八〇ミリグラムでかなり良好な状態にあり、右網膜症の症状が急激に悪化する兆はみられなかつた。

(3) ところが、本件事故直後より前記のとおり東淀川病院へ入院したため、眼科治療を受けられないでいたところ、事故後二九日を経過した昭和五三年一二月二六日に阪大病院眼科で診察を受けた際、既に左眼に硝子体出血が生じていることが認められた。そこで、原告は、同病院に同日から昭和五四年七月一五日まで二〇二日間(実日数二八日間)通院、同月一六日から同年一一月一〇日まで一一八日間入院、同月一一日から同年一二月八日まで二八日間(実日数五日間)通院、同月一九日から昭和五五年五月四日まで一四六日間入院、同月五日から同月三〇日まで二六日間(実日数二日間)通院と入通院を繰り返して治療を受けたが、結局治癒するに至らず、前記のとおり両眼ともに失明するに至つた。

(4) ところで、原告の左眼に生じた前記硝子体出血は、本件事故を原因とするものである。すなわち、糖尿病性網膜症の進行したものについては、わずかの運動ですら硝子体出血発症の引金になることがあるのであるから、眼球に直接外力が加わらなかつたとはいえ、本件事故により原告が頭部を強打し、頭部外傷、前額部に三・三センチメートルの挫創を残すほどの衝撃を受けた以上、そのような間接外力が硝子体出血の一因となつたことは十分に考えられることである。また、原告には前記長期入院による体力の消耗・低下があり、かつ、糖尿病患者にとつて必要とされる運動が制約されたほか、外傷による精神的・肉体的苦痛等があつたから、それらの要因も競合して、前記のとおり治療に努めたにもかかわらず、原告の既往症である糖尿病性網膜症が通常予測される症状の悪化の程度を超えて急激に増悪し、その結果、両眼とも硝子体出血を生ずることとなつたものである。

(5) 原告の両眼の失明は、右のごとき硝子体出血によつて惹起された続発緑内障や網膜剥離を直接の原因とするものである。

以上のような経過に照らせば、本件事故が、原告の既往症である糖尿病性網膜症の増悪に寄与していることは明らかであり、その結果、原告は両眼失明に至つたものであるから、本件事故と原告の失明との間に因果関係が存在することは明らかである。

3  責任原因

(一) 被告会社の責任(自賠法三条)

被告会社は、本件事故当時事故車①を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、その運行によつて惹起された本件事故により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告波田の責任(民法七〇九条)

被告波田は、波田車を運転して時速約四五キロメートルの速度で左右の見通しの悪い本件交差点に進入してきたものであるところ、このような場合、左右方向から車両が進行してくることが予測されるので、進入車の運転者としては、減速徐行をして事故発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、この義務を怠り、減速徐行することなくそのまま進行した過失により、左方向から交差点内に進入してきた梅村車を認めてとつさに避けようとしたが間に合わず、これと衝突して本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき本件事故により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(三) 被告梅村の責任(自賠法三条)

被告梅村は、本件事故当時事故車②を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、その運行によつて惹起された本件事故により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

4  損害

(一) 休業損害 二三二万一一〇八円

原告は、本件事故当時、ノルディスカ・ヒュースジャパン株式会社に設計士として勤務し月収二一万五〇〇〇円を得ていたところ、本件事故に基づく受傷のため事故日より昭和五五年五月三〇日まで欠勤を余儀なくされた。もつとも、欠勤中も同五四年七月一〇日までは同社から給与の支給を受けていたが、翌一一日以降は休職扱いとされ給与が全く支給されなくなつた。したがつて、昭和五四年七月一一日から同五五年五月三〇日まで三二四日間の休業による損害を被つたことになるが、その額は、次のとおり二三二万一一〇八円となる。

(算式)

二一万五〇〇〇円×(三二四/三〇)=二三二万一一〇八円

(二) 逸失利益 六三七八万五一五〇円

原告(昭和二四年一月五日生)は本件事故当時の昭和五三年度は年間三一四万六〇〇〇円の給与(ボーナスを含む)を得ていたところ、本件事故に基づく失明により失明時である三一歳から六七歳に至るまで三六年間にわたりその労働能力を一〇〇パーセント喪失することとなつたものであるから、原告の逸失利益の失明時の現価を年別のホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると六三七八万五一五〇円となる。

(算式)

三一四万六〇〇〇円×二〇・二七五×一・〇〇=六三七八万五一五〇円

(三) 傷害慰謝料 二二〇万円

原告は、前記2(一)(二)記載のとおり受傷し、その治療のため二九五日間の入院及び三六二日間の通院を余儀なくされたものであるところ、原告の被つた傷害に基づく精神的・肉体的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、二二〇万円が相当である。

(四) 後遺症慰謝料 一五〇〇万円

前記2(一)(二)記載のとおり、原告は本件事故によつて失明し、これが右事故の後遺症として残つたものであるところ、この後遺症に基づく精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、一五〇〇万円が相当である。

よつて、原告は、共同不法行為者である被告らに対し、右損害額の合計金八三三〇万七二五八円のうち金四〇〇〇万円及びこれに対する本件事故の日である昭和五三年一一月二七日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うべきことを求める。

二  請求原因に対する認否

(被告会社及び同波田)

1  請求原因1の事実のうち、同(五)を否認し、その余の事実は認める。本件事故は、波田車が交差点を通過し終える寸前に、梅村車が波田車の左前部に衝突してきたものである。

2  請求原因2の事実のうち、原告が本件事故前に糖尿病性網膜症につき加療していたこと、本件事故後原告の両眼が失明したことは認めるが、右網膜症の進行程度及び右失明と本件事故との間の因果関係については否認する。その余の事実は知らない。

本件事故発生直前の原告の両眼の状態は、かなり重症の糖尿病性網膜症が少しずつ進行している状態であつた。すなわち、原告は、本件事故前の昭和五三年四月一四日には阪大病院眼科において「網膜表在性病変強い、要注意」という診断を受けていたものであつて、そのことからも明らかなように、原告には、本件事故当時、罹患している糖尿病性網膜症が急速に悪化する素因があつたのである。しかもその症状は、事故前既に短期間に左眼に二回、右眼に一回光凝固療法を受けなければならないほど悪化していた上、その症状からして光凝固法によつても病変の進行を防ぐほどの効果を挙げることができない状態となつていた。のみならず、原告は、東淀川病院に入院中、眼科を受診することも可能であつたのにあえて受診しようとしないで治療を放置したため、網膜症は更に悪化し、その結果、事故後約一か月を経て左眼に、約八か月を経て右眼に硝子体出血が生じ、やがてそのために失明するに至つたのであつて、この硝子体出血・失明が本件事故と関係なしに生じたものであることは明らかである。

もつとも、本件事故により原告がその頭部等に傷害を受けたことがあるかも知れないけれども、右事故による衝撃が直接眼球に及んだことはないのであつて、原告の左眼の硝子体出血が事故後約一か月余も経過してから生じていることからも窺われるように、この硝子体出血が頭部打撲によつて生じたものでないことは明らかである。また、本件事故によつて原告が精神的・肉体的苦痛を受けたとしても、そのような精神的要因が糖尿病性網膜症に影響を及ぼしてこれを悪化させる蓋然性があるかどうかについて医学上の証明はなされておらず、これを肯定する見解も単なる推測の域を出るものではない。

これを要するに、原告の失明は本件事故前から罹患していた糖尿病性網膜症の進行の結果生じたものと考えるほかなく、本件事故の発生の有無にかかわらず生じたものであるから、本件事故と原告の失明との間に因果関係はない。

3  請求原因3(一)(二)の事実のうち、被告波田の過失をいう点を否認し、その余は認める。本件事故の態様は前記のとおりであつて、被告梅村が本件交差点手前で一旦停止する義務があつたのにこれを怠つた同被告の一方的過失によつて生じたもので、被告波田には何ら過失はない。

4  請求原因4の事実は否認する。

なお、慰謝料の算定にあたつては、好意同乗であることが考慮されるべきである。すなわち、原告は、職場の同僚である被告梅村の運転する事故車②に、職場の慰労会の交通手段であるマイクロバス借受の申込みに行くために同乗していたものであるから、この事情を斟酌して、原告の主張する慰謝料の額を大幅に減額すべきである。

(被告梅村)

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、原告が本件事故前から糖尿病性網膜症に罹患しており、その治療を受けていたこと、原告の両眼がそれぞれその主張の時に失明したことは認めるが、本件事故とこの失明との間の因果法ではなく、ただ病状の進行を止めるものにすぎないし、原告の眼底所見では表在性病変が強いと診断されていたのであつて、右病状は既にかなり進展増悪していたものである。それにもかかわらず、原告は昭和五三年八月二日を最後として本件事故まで眼科での診察治療を全く受けないでこれを放置していたため、硝子体出血の生じ易い新生血管が発生して急速に生長し、本件事故前後の原告の眼の新生血管の状態は硝子体出血直前の症状を呈するに至つていたのである。したがつて、原告の主張する硝子体出血・失明は、自然の経過として発生したものといわざるを得ず、本件事故はたまたまその発生の時期をほぼ同じくしたというにすぎない。

この点につき、原告は、精神的ストレスが網膜症悪化の要因となつたと主張するが、それを裏付けるべき医学上の根拠は何ら存在しない。更に、本件事故後比較的近接した時期に原告の眼に硝子体出血が起こり、それが失明につながつた点も本件事故と失明との因果関係を裏付けるものではない。すなわち、糖尿病性網膜症は新生血管の発生を契機として増悪していくものであるが、新生血管が発生してから硝子体出血がみられるまでの時間は、一週間程度であることもあれば数年を要することもあつてさまざまであり、病変の進行は、眼科的治療の有効性によつても、糖尿病そのものの内科的治療のあり方によつても、左右されるものである。また、糖尿病性網膜症の病態には、二つの型があり、病変が徐々に進行するものと、急速に進展増悪するものとに分かれるが、原告のはこのうち後者の型に属するものであつたのであるから、単に病変が事故後比較的近接した時期に生じたからといつて本件事故との因果関係を肯定することができないことはいうまでもない。

3  請求原因3(三)の事実は認める。

4  同4の事実は否認する。

なお、本件事故については、被告会社及び同波田の「請求原因に対する認否」4後段のごとき事情があるから、いわゆる好意同乗として、民法七二二条二項の趣旨の類推により、損害賠償の額を定めるについてこれを斟酌し、相当の減額をすべきである。

三  抗弁

1  弁済(被告ら共通)

原告に対して、被告会社及び同波田は一三八万三七〇〇円、被告梅村は一九五万円、それぞれ本件事故による損害につき賠償しているから、原告の損害額から三三三万三七〇〇円が控除されるべきである。

2  示談契約の成立(被告梅村)

被告梅村は、昭和五四年四月一七日原告との間において本件事故による損害につき、東淀川病院及び三好外科における治療費全額(一二八万三七〇〇円)及び休業補償費、慰謝料を含めた損害賠償金七〇万円を被告梅村が原告に支払つたときは、原告は同被告に対するその余の損害賠償請求権を放棄する旨の示談契約を締結したところ、被告梅村は、同年四月二四、二五の両日にわたつて右治療費全額を支払い、更に、同年八月二五日原告がその勤務先から給与の支給を受けたことを考慮してこれを控除し休業補償費等七〇万円を五五万円に減額する旨合意し、その全額を支払つたので、これによつて本件事故に基づく被告梅村の原告に対する損害賠償義務は既に消滅するに至つたものである。

四  抗弁に対する認否

1  被告ら主張の弁済の事実は認める。

2  被告梅村主張のごとき内容の示談契約を締結したことは否認する。原告が被告梅村が主張する時期に締結した契約というのは、本件事故による損害のうち昭和五四年四月一七日以前に顕在化していた損害についてのみ示談をするという内容のものであつて、後遺障害による損害の賠償については一切合意していない。そのことは、この時点では後遺症診断書が未だ作成されておらず外傷による後遺症の障害等級も確定していなかつたことからみても明らかである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一事故の発生

請求原因1の事実(本件事故の発生)については、(五)の点へその態様を除き当事者間に争いがない(原告と被告梅村との間においては、右(五)の点についても争いがない。)。

そして、〈証拠〉を総合すると、本件事故の態様として、次の事実が認められる。

1  本件事故の現場は、大阪市淀川区西宮原一丁目八番六号先の信号機による交通整理の行なわれていない東西道路と南北道路がほぼ直角に交わる交差点で、交差する道路はいずれも前方の見通しはよいが左右の見通しが悪く、制限時速は四〇キロメートルで、東行き車線には交差点の直前に一時停止の規制があり、その道路標識が設置されていた。

2  被告波田は、昭和五三年一一月二七日午後五時四五分ころ、被告会社所有の普通貨物自動車(大阪四五ほ七〇九号、以下「波田車」ともいう。)を運転して新大阪駅前から被告会社まで帰る途中南北道路を走行して本件交差点にさしかかり、南から北へ向つて同交差点に進入しようとした際、東西道路を西から東に向つて同交差点の方へ進行して来る被告梅村の運転する軽乗用自動車(以下「梅村車」ともいう。)を認めたが、東西道路の東行き車線には一時停止の規制があるところから梅村車は減速ないし一時停止するものと考えて、徐行ないし減速をすることなく、時速約四五キロメートルの速度でそのまま進行したため、自車の左側面と梅村車の前部とを衝突させ、その衝撃により横倒しになり一回転してその場に停止した。

3  被告梅村は、本件事故当時勤務していたトーリングハウス大阪(その後、商号変更してノルディスカ・ヒュースジャパン株式会社)の従業員が終業後連れ立つて池田市方面へ会食に赴くための交通手段を確保すべく、業者からマイクロバスを借りる目的で、同被告所有の軽乗用自動車(大阪五〇う三八〇五号)を運転し右会社に勤務する同僚の原告を助手席に同乗させて東西道路を走行して新大阪駅方面に向かう途中、西側から本件交差点に差し掛かつたものであるが、右交差点直前の東西道路上には前記のとおり一時停止の道路標識が設置されていたのに、たまたま考えごとをしていたためこれに気づかず、一時停止も減速もしないまま時速約四五キロメートルの速度でそのまま進行した結果、前記のように折から同交差点内に南から北に向つて進入してきていた波田車の左側面に自車前部を衝突させた。

以上の事実であつて、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

二原告の受傷と本件事故との因果関係

1  外傷とその治療経過

〈証拠〉によれば、請求原因2(一)の(1)(2)の各事実及び原告の前額部に残存した後遺症(瘢痕)につき、自賠責保険の関係において自賠法施行令別表後遺障害等級表一四級一一号(男子の外貌に醜状を残すもの)に該当する旨の認定がなされたことが認められ、これに反する証拠はない。したがつて、本件事故と原告の負つた右外傷との間に相当因果関係のあることは明らかである。

2  失明と本件事故との因果関係

(一)  本件事故後原告の両眼が失明するに至つたことは当事者間に争いのないところ、〈証拠〉の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すると、原告が両眼を失明するに至つた経過として、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和二四年一月五日生の男子であるが、昭和四二年就職試験の身体検査時(一八歳)に尿糖が陽性であることを発見され、若年性糖尿病と診断されて警察病院に約四カ月入院しその治療を受けたが、その後は完治したものと考えて何らの治療も手当てもしないまま過ごしてきた。ところが、昭和五一年一一月頃より頻尿、口の喝き等の徴候が発現したため、国立大阪病院で受診したところ、高血糖、尿糖を指摘され、同病院から阪大病院内科を紹介されて同科で治療を受けることになつた。

(2) 原告は、そのようにして、昭和五二年一〇月二七日から同年一二月二四日まで阪大病院内科に入院し糖尿病の治療としてインシュリン投与等を受け、右入院中の一一月一日同病院眼科で受診したところ、合併症として、両眼ともスコットの分類によるⅢa期(眼底に出血と白斑が出て来る時期)にある糖尿病性網膜症が発見された。その際、原告の網膜所見において新生血管は認められなかつたものの、末梢血管の閉塞と無血管領域がみられたため、同眼科において光凝固術による治療を施すことが適当と判断され、左眼につき、昭和五二年一二月八日光凝固術が施されたが、その後新生血管の初期のものが認められるようになつたため、翌五三年六月一四日再度光凝固術が施行された。また、右眼についても、新生血管の初期のものが認められたため、同年八月三日に一回光凝固術が施された。

(3) 右光凝固術を受けた段階では原告の両眼はともに既に増殖型前期網膜症の病期に達していたものであるが、原告は、八月三日以降は、同眼科医師から月一回程度の受診と経過観察を勧められていながら、特段の自覚症状もなかつたことから、診察も経過観察も受けないままに過ごしていた。もつとも、同内科には退院後も二週間に一度の割合でインシュリンを貰いに行き、血糖値のコントロールは続けていた。なお、原告の視力は、昭和五三年七月二一日の視力検査では、右眼〇・九、左眼〇・六であり、退院後は本件事故日まで勤務先において支障なく設計士として就労していた。

(4) その後、原告は、本件事故により右1で認定したように外傷を負つて東淀川病院に入院したが、入院して一週間後に眼に痛みを覚えるようになつたほか物がぼやけて見えるようになり、二週間後には飛蚊症が現われ、更に三週間目にテレビを見ていたところ眼の前が真赤になるのを自覚した。そこで、原告は、その数日後である昭和五三年一二月二六日阪大病院眼科で受診したが、その時既に、左眼に硝子体出血が認められたので、同日から昭和五四年七月一五日まで通院し、更に、七月一六日から一一月一〇日までは入院、一一月一一日から一二月八日までは通院、一二月九日から翌五五年五月四日までは入院、五月五日から同月三〇日までは通院という具合に入通院を繰り返して眼の治療を受けた。

(5) その間、左眼については、硝子体出血に対し主として薬物療法が施され出血の自然吸収が企図されたが、奏功せず、昭和五四年六月二二日には網膜剥離が生じ、その治療のため、七月一八日に強膜短縮術、八月八日に硝子体切除術、輪状締結術が施術された。それでもなお症状は改善されず、やがて、矯正不能の手動弁(手の動くのが見える程度の失明状態)の状態で昭和五五年五月三〇日症状が固定した。

一方、右眼についても、昭和五四年一月頃になつて新生血管が発生し、増殖性網膜症の発症が認められたため、同年一月二六日及び三月二八日の二回にわたり光凝固術が施されたが、やがて七月一一日には硝子体出血が生じたため、八月八日に今一度光凝固術が、更に九月二六日には硝子体切除術が施された。その後、一旦視力が〇・三まで回復したが、一一月二四日に再び硝子体出血があつたので、一二月九日にトラベクレクトミー、同月一九日と翌五五年三月一九日に毛様体冷凍凝固術が施術されたが、症状の改善はみられず、遂に矯正不能の光覚弁(光が分かる程度の失明状態)の状態で同年五月三〇日症状が固定した(三一歳で両眼失明)。

なお、甲第七号証中には「後遺障害の内容」欄に「右=光覚、左=手動弁」との記載があり、「障害の程度および内容」欄には、その逆に「左光覚、右手動弁」との記載があるが、前記丙第一二号証の三の二枚目の阪大病院西川医師の診断書の記載内容に照らして、右甲第七号証中の「障害の程度及び内容」欄の記載は誤記と認める。その他の右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかして、以上の認定事実からすれば、本件事故後における原告の両眼の失明は、直接的には、原告が本件事故前より罹患していた糖尿病性網膜症が進行増悪し、新生血管の発生により増殖性のものとなつて更に急速に進行し、やがて硝子体出血をきたし、更には網膜剥離を生ずるという過程を経て招来されるに至つたものといわなければならず、その限りにおいて、既往症である右網膜症を原因とするものであつて、本件事故との間に因果関係は存在しないといわざるを得ないかのごとくである。

もつとも、後記認定のとおり本件事故当時における原告のごとく増殖型前期網膜症の病期に達している患者の眼球に直接的外力が加わると、健常者の場合におけるより、はるかに高い確率をもつて硝子体出血を生じることがあり得るところ、原告が本件事故により頭部・前額部に外傷を負つたことは前記認定のとおりであるが、直接その眼球もしくは眼部に外力が加わつて外傷を受けたことを認めるに足りる証拠は全く存在しないから、その点から原告の失明と本件事故との間の因果関係の存在を肯定することもできない。

(二)  しかしながら、一方、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 糖尿病性網膜症に罹患している眼球は、眼球自体に直接打撲等の外力が加わると、健常者におけるより、はるかに高い確率をもつて硝子体出血を生じることがあり得るし、直接的外力が加わることがなくても、頭部打撲等の間接的外力による衝撃が原因ないし誘因となつて硝子体出血を生じることがあり得る。特に、その病変が増殖型前期網膜症の段階に達した時期においては、一般的にも出血のリスクは大きい。

原告が、本件事故当時、増殖型前期網膜症という出血リスクの大きい病変を有していたこと、本件事故により頭部を打撲し、前額部に三・三センチメートルの切創が残る衝撃を受けたことはいずれも前記認定のとおりであるところ、左眼について硝子体出血をみたのは、事故後原告が眼に異常を感じ始めた一週間ないし三週間後のことであり、本件事故と時間的に近接する関係にあつた。

(2) 交通事故による受傷、その治療のための入院生活等といつた肉体的苦痛を含めた精神的ストレスが、糖尿病性網膜症の病変の急速な進行・増悪を促進する要素となり得る蓋然性を否定することはできないところ、原告も、本件事故による受傷(右脛骨々折等)とそれに続く入院により、多大の肉体的苦痛・精神的ストレスを惹き起こされたものである。

以上の認定事実によれば、間接的外力による眼球への衝撃及び肉体的苦痛・精神的ストレスによる糖尿病性網膜症の病状の進行・増悪を媒介として、本件事故と原告の失明との間の因果関係を肯認する余地があるというべきである。

もつとも、右のごとき間接的外力や肉体的苦痛・精神的ストレスが、本件の場合、事故当時の原告の糖尿病性網膜症(増殖型前期)を、どのように、またどの程度、進行・増悪させたかを個々の証拠に徴して具体的に認定することは、極めて困難といわざるを得ない。そうであれば、右因果関係については、結局証明が十分でないというよりほかないようにみえないわけではない。

しかし、原告とほぼ同条件の糖尿病性網膜症に罹患した多数の患者が、本件のごとき事故に遭うことなく、一般的な治療を続けた場合に通常どのような経過をたどるかを疫学的統計によつて明らかにすることができるならば、特段の事情のない限り、本件事故がなければたどつたであろう原告の網膜症の病状の経過を推定することができるから、その経過と本件事故に遭つた後に原告の網膜症の病状が現実にたどつた経過とを比較対照することにより、本件事故に基づく間接的外力や肉体的苦痛・精神的ストレスが原告の網膜症をどの程度進行・増悪させたかを推認することが可能となるといわなければならない。

そこで、そのような観点から、若年性糖尿病及び糖尿病性網膜症の一般的進行経過並びにその疫学的統計について検討してみるに、前記各証拠によれば、次のような事実を認めることができる。

(3) 若年性糖尿病は、遺伝的要素が関与することが多く、一般に壮年期以後に発病するものに比べて進行性で予後が悪く、一度治療を受けた後長期間放置し、再び症状が現われるとともに治療を再開したような場合は、治療効果を上げることがかなり困難である。

(4) 糖尿病性網膜症は、血中の糖代謝物が眼底の毛細血管内に滞留して発生するものであり、その悪化によつて、単純型網膜症、増殖型前期網膜症、増殖型網膜症と進行していく。毛細血管に糖代謝物の滞留が進むと、毛細血管が閉塞して無血管領域ができるため新生血管を生じる(これはスコットによる分類によればⅢa期)が、新生血管は血管壁も脆弱で容易に出血し易い。この新生血管が破れて出血すると当初は硝子体下出血が生ずるが、亢進すると硝子体内で直接出血するようになり、これが何回も続くと硝子体は混濁し、網膜剥離が発生する等して視機能障害が起こり遂に失明に至る。また、糖尿病性網膜症の症状は、両眼ともほぼ並行して同程度に進行することが多いが、数カ月程度の進行状況の差異が生ずることも稀ではない。

(5) 一九歳までに発病した若年性糖尿病患者は、諸要因により個人差はあるものの、疫学的統計によると、約半数が増殖型前期網膜症を発症し、発症までの期間は糖尿病発病後平均約一六年で、その後約二年経過した時期に増殖型網膜症を発症し、それから約一〇年後には過半数が視力〇・一以下の実質的失明状態に至る。しかし、増殖型前期網膜症の時期に十分な光凝固治療を受けた場合には、一定期間内の失明率は半分以下になる。したがつて、このことから逆計算すれば、失明に至る期間が二倍程度延長されると考えてもよく、増殖型前期網膜症を発症してから失明に至るまでの期間が約一二年から約二四年程度に延長されることになる。

ところで、原告の糖尿病性網膜症が若年性糖尿病の合併症で、一般的に指摘されるものと同様進行性のものであること、糖尿病の発病(一八歳時)から増殖型前期網膜症まで一〇年間で進行していることはいずれも前記認定のとおりであつて、平均約一六年かかるところをそれよりもやや速く進行していたものである。すなわち、原告の糖尿病性網膜症の進行の速さは、平均的なケースの〇・六二五倍にあたるのであつて、そのことを前提に考えると、原告の場合、自然的経過にまかせたときの失明に至るまでの期間も、前記統計値(二八年)の〇・六二五倍にあたる一七・五年(三五・五歳時)である蓋然性が高いと考えるのが妥当である。

更に、原告が、昭和五二年一二月以降増殖型前期網膜症の病変を呈していた両眼に対して、光凝固術による治療を受け、併行して内科的治療も受けていたことは前記認定のとおりであるから、本件事故がなくても同様の治療を引き続き受けたであろう公算が大であり、それを前提とすれば、自然的経過にまかせた場合よりも失明時期を二倍程度遅らせることができた筈であるといわなければならない。したがつて、前同様に考えると、原告が糖尿病発病後失明に至るまでの期間は、然るべき治療を施した場合の失明に至る平均的期間である四〇年の〇・六二五倍にあたる二五年(四三歳時)である蓋然性が高いと考えるのが合理的である。

右のとおりであるとすると、他に特段の事情の認められない本件においては、本件事故がなければ、原告の糖尿病性網膜症は通常の進行の経過をたどり、原告が四三歳に達したころに失明するに至つたものと推認するのが相当である。しかるに、原告が、本件事故後昭和五五年に三一歳で失明するに至つたことは前記のとおりであつて、治療を施した場合に推定される失明時期である四三歳よりも早いことはもとより、自然的経過にまかせた場合に推定される失明時期である三五・五歳と比べても更に早期であることになり、原告が、昭和五二年時点で一応入院したうえ内科的治療及び光凝固術等の眼科的治療を受け始めていることを考えると、個人差を考慮したとしても、本件における原告の失明時は、なお早きにすぎるものといわざるを得ないのである。

このように、本件事故がなかつたならば原告の失明時期は四三歳ころと推定されるにもかかわらず、本件事故後実際に原告が失明したのは三一歳の時であつたのであるから、特段の事情の認められない本件においては、失明時期が右のように早められた原因は、本件事故による原告の頭部等への衝撃及び本件事故又は受傷そのものによるストレス等を媒介として、本件事故が糖尿病性網膜症の増悪を促進して硝子体出血等を早めたことに求めるほかはないというべきであり、その意味において、経験則上本件事故と原告が失明時期を早められたこととの間には因果関係があると推認するのが相当であるというべきである。

もつとも、本件の場合、原告に糖尿病性網膜症という病因がなければ、本件事故によつて原告の頭部等への衝撃や肉体的苦痛・精神的ストレスが生じたとしても、そのために原告の両眼の失明という結果が生じるようなことはそもそもあり得なかつたといわざるを得ないから、原告が三一歳の若さで失明するに至つたことについては、原告の糖尿病性網膜症と本件事故という二個の原因が競合していたものとみるべきであり、諸般の事情を考慮すると、本件事故が右のごとき結果の発生に寄与した度合いは、五割と評価するのが相当である。

三責任原因

1  被告会社の責任(自賠法三条)

被告会社が、事故車①を所有し、これを自己のために運行の用に供していたところ、その運行によつて本件事故を惹起したことは、当事者間に争いがない。したがつて、被告会社は、自賠法三条に基づき本件事故により原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

2  被告波田の責任(民法七〇九条)

交通整理の行なわれていない左右の見通しの悪い交差点に進入するにあたつては、交差する車線から車両が進行してくることが予想されるから、自動車運転者としては徐行して左右道路を進行してくる車両の有無を確認し、そのような車両があることを認めた場合には速やかに停止し、もつて事故発生を未然に防止すべき注意義務があるものといわなければならない。

ところが、被告波田は、前記一に認定したとおり、本件交差点に進入するにあたり、右注意義務に違反して徐行することを怠り、同交差点を東進してくる梅村車を認めたのに、同車が自車を認めて減速するか一時停止するであろうと速断して、制限時速四〇キロメートルを超える時速約四五キロメートルでそのまま交差点内に進んだ過失により、同じく交差点内に進入してきた梅村車と衝突して本件事故を惹起させたものであるから、民法七〇九条に基づき本件事故により原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

もつとも、本件事故は、被告波田の右過失のほか同梅村が一時停止の規制に従わずに本件交差点に進入したこと(これは、もとより被告梅村の過失にあたる。)も一因となつていることは明らかであるが、前記一で認定した事実に照せば、本件事故発生について被告梅村の過失行為があるからといつて、同波田の右のごとき過失が認められなくなる筋合のものではないといわなければならない。

3  被告梅村の責任(自賠法三条)

被告梅村が、事故車②を所有し、これを自己のために運行の用に供していたところ、その運行によつて本件事故を惹起したことは、当事者間に争いがない。したがつて、自賠法三条に基づき本件事故により原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

4  以上によれば、本件事故は、被告波田及び同梅村の各自の独立した不法行為によつて惹起されたものであり、かつ、右各行為はそれぞれ客観的に相関連し共同して損害を発生させたものであるから、共同不法行為として、被告らは各自が連帯して原告に対する損害賠償義務を負うものといわなければならない。

四損害

1  休業損害 一一二万六三七四円

〈証拠〉によれば、原告は、本件事故当時、ノルディスカ・ヒュースジャパン株式会社に設計士として勤務し月額二一万五〇〇〇円の給与を得ていたが、本件事故に基づく受傷のため本件事故日の翌日から昭和五五年五月三〇日の退職時まで欠勤を余儀なくされたこと、しかし、その間、長期入院のため同社を休職することとなつた昭和五四年七月一〇日までは、同社から給与が支払われていたため現実の減収はなかつたことが認められる。そうすると、原告が休業することにより得ることができなくなつた給与は、昭和五四年七月一一日から翌五五年五月三〇日までの三二五日分(約一一月分)であるが、右時期は、外傷についての症状固定後であり、糖尿病性網膜症の治療に専念していた時期であるから、前記二2(二)において説示したのと同様の理由により、本件事故と因果関係のある休業損害としては、その五割がこれに当たるものというべきところ、月別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故時におけるその現価を求めると、一一二万六三七四円(円未満四捨五入、以下同じ。)となる。

(算式)

二一万五〇〇〇円×一〇・四七七九(事故時から昭和五五年五月三〇日までの一七月のホフマン係数一六・三九一九―事故時から昭和五四年七月一〇日までの六月のホフマン係数五・九一四〇)×〇・五=一一二万六三七四円

2  逸失利益 六四一万七二八八円

原告が三一歳で失明するに至つたこと、本件事故に遭わなければ四三歳に至るまで失明することがなかつた筈であることはいずれも前記認定のとおりであるが、原告の設計士としての仕事に鑑みると、このうち三九歳に至るまでの約八年間(九一カ月間)は稼働することが可能であつたとみるのが相当である。また、原告の月収が二一万五〇〇〇円であり、原告の失明を早めたことについての本件事故の寄与度が五割とみるべきことはいずれも前記のとおりであるから、これらの数値に基づき月別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故と相当因果関係に立つ原告の逸失利益の本件事故時における現価を求めると六四一万七二八八円となる。

(算式)

二一万五〇〇〇円×五九・六九五七(事故時から三九歳までの九一カ月のホフマン係数七七・〇一七八―事故時から症状固定時までの一八カ月のホフマン係数一七・三二二一)×〇・五=六四一万七二八八円

3  慰謝料 六五〇万円

原告は、本件事故により前記二の1、2認定のとおり、外傷を受け、入通院治療を余儀なくされ、前額部に醜状が残つたほか、糖尿病性網膜症の増悪を惹起され、その入通院治療にもかかわらず、結局、本件事故により失明する時期が早められたものであるところ、原告は糖尿病性網膜症の進行により早晩失明に至る蓋然性が高かつたものではあるが、そうであればなおさら原告にとつては晴眼の状態でいることのできる期間は貴重なものであつたというべきであつて、これらの事情と本件事故の失明の結果に対する寄与度その他本件証拠によつて認められる諸般の事情とを併せ考えると、本件事故による受傷及び原告の失明を早められたことによる精神的苦痛を慰謝するに足る慰謝料の額は六五〇万円と認めるのが相当である。

4  損益相殺

以上を合計すると、一四〇四万三六六二円となるが、原告が被告らから本件損害賠償として計三三三万三七〇〇円の弁済を受けていることは、当事者間に争いがないから、これを右合計額から控除すると、一〇七〇万九九六二円となる。

5  好意同乗

原告と被告梅村とが、職場の同僚という間柄であり、本件事故当時も職場の従業員が終業後連れ立つて池田市方面へ会食に赴くための交通手段を確保すべく、タクシー会社からマイクロバスを借りる目的で、被告梅村が梅村車を運転し原告を助手席に同乗させて新大阪駅方面に向かう途中、本件事故を起こしたものであることは前記認定のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、原告は、被告梅村がタクシー会社の近くに自車を駐車させて同会社と折衝する間、梅村車が駐車違反として検挙されないように同行したものであることが認められる。これによれば、原告は自己のみの便宜を図つてもらうために被告梅村の好意によつて梅村に同乗させてもらつていたわけではなかつたことが明らかであるから、損害負担における当事者間の公平の観点からみても、いわゆる好意同乗として、原告の損害額を減額することや慰謝料算定に際しての減額要素としてこれを斟酌することは、いずれも相当でないというべきである。

五示談契約の成否

〈証拠〉によれば、被告梅村主張のごとき合意内容を記載した昭和五四年四月一七日付の「示談書」と題する書面が作成されており、これに原告及び被告梅村が署名捺印していることが認められるところ、右事実によれば、同被告主張のような示談契約が成立したものといわざるを得ないかのごとくである。

しかしながら、〈証拠〉によれば、東淀川病院の医師の作成にかかる自賠責保険後遺障害診断書(甲第五号証)の作成日付は、昭和五四年六月七日であり、したがつて、右「示談書作成の時点では未だ原告の症状は固定しておらず、後遺障害の有無・程度も明らかになつていなかつたこと、保険会社調査員作成の対人賠償査定調書〔B〕(乙第五号証)では、昭和五四年三月一六日までの医療費、看護料、雑費、休業損害、傷害の慰謝料の査定と積算しかされておらず、後遺障害による損害については全く算定されていなかつたことが認められるのであつて、これらの事実によれば、被告梅村主張の時に同被告と原告との間でなされたのは、その時期までに具体化した休業損害及び慰謝料、治療費の額のみについての合意にすぎず、後遺障害に基づく損害その他の損害の賠償に関する合意は全く含まれていなかつたものとみるのが相当である。

そうすると、被告梅村主張のごとき内容の示談契約については、結局これを認めるに足りる証拠がないことに帰着し、示談契約の抗弁は理由がないといわなければならない。

六以上によれば、原告の被告らに対する各請求は、一〇七〇万九九六二円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五三年一一月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤原弘道 裁判官加藤新太郎 裁判官浜 秀樹)

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